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何とかこの貴重な茅葺き民家を後世に
- 今回葺き替えを計画している雑草庵は昭和初期まで市川町の山間部で使われていた住居を昭和50年に移築したものです。大きさは南北3間東西5間で、内部は藁打ち石や搗き臼のある土間と、囲炉裏をきった3畳の板間と8畳の日本間です。家屋の基礎はのべ石で、上に檜や欅の柱と土壁です。胴や梁は松でつやが出、古風堂々としています。
入口は躙り口のある引き戸と灯りとりの障子戸で二重になっています。屋根は宍粟市波賀の有賀芸州流を受け継ぐ藤原弥一さんが葺かれました。
移築後、平成の初めに修理しましたが北側は冬の北風と陽当たりが悪いため苔が生え、南側は台風など風雨を受けるため茅が痩せ、雨漏り寸前です。放置しておくと来年の梅雨を越すことができません。資料館の使命として、江戸期から明治の住居や建築を語る小さな茅葺き民家を将来に引き継ぎたいのです。どうかご理解とご支援をお願い申し上げます。 -
香寺民俗資料館
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- 香寺町の東部を流れる清流市川。そのほとりにたたずむ一軒の古い和様建築。玄関をくぐる。
展示棚に並ぶ和鏡、かんざし、つぼ、農具…。たどるうちに家の奥へ、奥へと導かれ、思いは遠く江戸、明治期へとタイムスリップしたようです。 -
- 姫路市香寺町中仁野にある同館は、民俗学者の島津弥太郎館長が1971年に設立しました。約1300平方メートルの敷地には、姫路市船津町から移築した、酒造業尾田家の屋敷や茅葺き屋根の民家があり、島津館長が全国を歩いて集めた民具や農具、古文書などを展示し、館長自ら解説していました。
館長が2008年に88歳で亡くなってから解説できる人がいなくなり、休館を余儀なくされました。理事会で「このまま貴重な収蔵品を公開しないのはあまりにも惜しい」と協議していたところ、姫路市立曽左小学校から見学の申し込みがあり、受け入れを機に再開を決断。2年間使っていなかった館内を清掃するだけでなく、庭の剪定、周辺整備などをさらに民具の手入れをすすめて運営を再開し、民具や農具など収蔵品の一部を公開するようになりました。 -
創設者の故・島津弥太郎さん
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- 「香寺民俗資料館」。その看板を掲げた家の主は、館長の故・島津弥太郎さん。絣(かすり)の作務衣(さむえ)に身を包み、白いひげをたくわえた風貌(ふうぼう)は仙人を思わせました。
二十歳のころ。福崎町出身の民俗学者、柳田國男との出会いに感動し、民俗学の勉強に励みました。半世紀以上をかけて全国を歩き、農具や生産具などを集めました。 - 「人間は古来から道具の改良に精力を注いできた。古い道具には創意工夫した知恵がつまっており、人々の喜び、悲しみだけでなく、生命力のようなものが伝わってくる」
3万6千点以上にものぼる収集品。道具への愛着は、自らが住まう家さえも変えさせてしまいました。 昭和四十年半ばまで藁葺(わらぶ)き屋根の古民家に住んでいましたが、道具を持ち帰るうちに手狭に。結局、造り酒屋だった姫路の旧家を購入、現在地に移築しました。 -
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元香寺町長、橋本良春さんの寄せる思い
- 元香寺町長の橋本良春さんは今年3月、神戸新聞に民俗資料館に寄せる思いを寄稿してくれました。
※はしもと・よしはる 1938年兵庫県香寺町生まれ。姫路西髙を卒業後、食品会社に就職。99年の香寺町長選に初当選し、2期目の途中に姫路市と合併した。 -
■ ■ ■「 民族資料館の今後を憂う 」■ ■ ■
- 旧香寺町が姫路市に合併されてから、来年3月で15年になる。合併前の課題だったJR香呂駅と溝口駅の周辺整備や、小中学校の耐震化は完了し、道路整備も9割程度進んだ。最後の町長として、現状にはおおむね満足している。
ただ、一つ気掛かりなことがある。香寺民俗資料館の今後だ。次の世代に残せるかと危惧している。
同資料館は1971(昭和46)年、在野の民俗・民具研究者、故島津弥太郎氏が開設した。姫路市船津町にあった造り酒屋の尾田家の移築し、島津氏の収集品などを収蔵・展示している。現在は一般財団法人が運営している。
江戸期建築の建物は、ひょうご住宅百選や県景観形成重要建造物に選ばれている。展示品は千歯扱(こ)きや脱穀機、唐箕(とうみ)などの農具、あんどんや燭台(しょくだい)などの照明器具、かんざしや和鏡などの化粧道具と多岐にわたり、数万点に上る。赤穂義士関係の古文書など希少な資料も多く、遠来のお客さんにも「見応えがあった」とほめていただける。
質量とも胸を張れる内容だが、昔の暮らしぶりを懐かしがる人が減るとともに、入館者は年々減少している。本年度は新型コロナウイルスの感染拡大が追い打ちをかけた。近隣の小学3年生の「昔の暮らしを学ぶ」見学も申し込みがなく、好評の餅花作り体験会(11月28日)も内容を縮小せざるを得ない。
資料館の運営も厳しさを増している。私が町長だった頃は、町が年間15万円を補助し、館内の修理、整備だけでなくイベント開催なども可能な限り支援してきた。しかし合併後、姫路市からの補助金は4万5千円に減少した。施設の維持管理は、一般財団法人の役員ら12人によって支えられているが、全員が無報酬のボランティアで、しかも高齢になった。現在は原則、土・日曜だけ開館している。私は昨春、理事長の職を後進に譲ったが、現在も理事として残り、土日は資料館に出、入館者や電話に対応している。
時代の流れで、昔の民俗や民具への興味が薄れていくのは仕方ない。だが、このまま忘れ去られてしまって本当にいいのだろうか。近年は旧家の建て替えに伴って、民具を寄贈したいという申し入れも相次いでいる。貴重な遺産を保存し、展示する施設は必要だと思う。
ここ数年、台風被害が相次ぎ、施設の補修が大きな課題になっている。母屋の瓦屋根や床は多くの協力を得て何とか直してきた。問題は離れのかやぶき屋根だ。傷みが激しくふき替えが必要だが、それには多額の費用が必要となる。今は資料館に理解のある方がの寄付などでどうにか持ちこたえているが、このままでは運営が立ち行かなくなってしまう。
資料館は、合併前の香寺町の暮らしを伝える歴史の証人でもある。貴重な建物や展示物を後世に伝えるのは、私たちの責務だ。もう一度、地域の文化資産に目を向けて、ご支援いただけないだろうか。 -
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収蔵品クイズです さあ、これはいったい何?
- さて、ここからは収蔵品クイズです。香寺民俗資料館(姫路市香寺町中仁野)は、江戸時代から戦後ごろまで、播磨地域などで使われていた民具を収蔵しています。その数3万6千点。中には、どうやって使ったのだろうと首をかしげたくなる「珍コレクション」もあります。今回の香寺新聞は、山本秀樹館長の協力を得て、自慢の収集品をクイズ形式で紹介します。出題編(解答は後半に)からご覧ください。一体何に使ったものでしょうか。
- ★…初級。入門編です
★★…中級。難しいけれどよく考えれば答えられそう
★★★…上級。分かった人は周りに自慢できます
★★★★…難問。答えられたらかなりの民具通
★★★★★…超難問。正答者は民具学者レベル -
▼第1問 難易度★
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- まずは腕試し。直観を大切にすれば、正答は難しくないでしょう。今も家庭で使われていますが、当時は仕組みが大きく違います。電気の力は偉大ですね。寸法は高さ76センチ、幅42センチ、奥行き41センチほどです。
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▼第2問 難易度★★
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- 今も生活に欠かせない道具です。大きい方は全長21センチ、高さ20センチ程度。小さい方は全長18センチ、高さ17センチ程度。上部が開き、中に何かを入れられるのが現代との違いです。何を入れたのかも考えてみてください。
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▼第3問 難易度★★★
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- 昔の人の優しさを感じます。使われたのは昭和30年代ごろまででしょうか。まだ編める人がいるかもしれません。今は仕事のやり方がすっかり変わって、使われなくなりました。全長は50センチ、最大幅は10センチ程度。
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▼第4問 難易度★★★★★
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- これは難問。今も使われていますが、形が違うため見た目から当てるのは難しいかも。温暖化で需要は高まっています。ヒントを一つ。先端のひもは腰につり下げるために使います。全長60センチ、最大幅5センチ程度。
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▼第5問 難易度★★★★
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- 竹で編んだ籠のような物に、竹の筒を組み合わせていますが、一体何に使ったか分かりますか。竹の筒は中が空洞になっていて、籠の底につながっているのがヒントです。全長70センチ、籠の部分の最大幅26センチ程度。
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▼第6問 難易度★★★
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- 使ったことがある人には簡単ですが、そうでない人は用途を想像できるかどうか。生活に欠かせない物を作る道具です。子どもが寝静まった後、夫婦で使ったかもしれません。全長54センチ、先端部は高さ19センチ程度。
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▼第7問 難易度★★★
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- これを使うお嫁さんは、しゅうとめに叱られたかもしれません。高さ23センチ、幅20センチほどで、持つとずしりと重い。使われたのは昭和初期ごろまででしょうか。最近は花器などに転用されることもあるようです。
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▼第8問 難易度★★★★
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- 現代では必需品ですが、形や仕組みは全く異なります。本当に使えるのかと疑ってしまいますが、昔はおおらかだったのでしょう。格子状のふたが付き、引き出しがあります。幅と奥行きは21センチ、高さ22センチ程度。
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▼第9問 難易度★★
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- 年配の人には簡単な問題だと思います。重要なのは先端のギザギザの部分ですが、ここをどう使ったのか。今は作業が機械化され、すっかり見かけなくなりました。寸法は高さ1メートル、幅60センチ程度です。
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▼第10問 難易度★★★★
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- これは難問。先端に取り付けられた板は外側がギザギザになっています。当時の住まいを思い浮かべ、必要な作業を想像すれば、あるいは分かるかもしれません。大きい方は全長56センチ、小さい方は38センチ程度です。
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▼第11問 難易度★★
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- 今も観光地などで使われているかもしれません。筆者も見たことがあります。丸い部分が合わさったり、開いたりします。使いこなすには熟練の技が必要でしょうね。全長48センチ、丸い部分の直径は11センチ程度です。
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▼第12問 難易度★
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- まずはじっくり眺めて、「用の美」を味わってください。さまざまな色合いが重なり、複雑な表情を見せています。かつての質素な暮らしが生んだ芸術品といえます。どんな時に使ったのかも考えてください。
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答え合わせをしましょう!
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▼第1問 冷蔵庫(器)
- 形は現在と似ていますね。電気で動かすのではなく、上部に氷を入れ、下に流れる冷気で冷やす仕組みです。扉などのデザインに高級感が漂いますね。「岩谷製冷蔵器」と銘があります。
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▼第2問 アイロン
- これも比較的易しかったでしょうか。形は現在と共通点があります。各家庭に電気が普及する前ですので、上部を開いて炭火を入れ、熱する仕組みです。ハイカラな家庭で使われたのでしょうか。
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▼第3問 牛のわらじ(くつ)
- トラックや耕運機がなかったころ、牛は貴重な動力でした。牛のくらに荷物を付けて運ぶとき、ひづめを痛めないようにはかせたそうです。飼い主が手編みして、大切にしていたんですね。
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▼第4問 蚊取り線香(防虫用カッカ)
- 今とは形が違いますね。染料の藍をしみこませた布を中に入れ、火でいぶして虫の嫌う煙を出す仕組みです。これで蚊やブヨを撃退しました。やけどに注意する必要があります。
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▼第5問 アユすくい籠
- 料亭などで使われたそうです。籠の部分でアユをすくい、竹の筒を通して手元に移す仕組みです。繊細な魚体を傷つけない工夫ですね。「明治十二 山崎村 三輪幾平」と銘があります。
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▼第6問 わらじ作り台
- わらじやぞうりを作るための木製の台。底板の上に座り、先端の爪にわらを引っかけて編むそうです。「編み台」「わらじ作り」など、地域によっていろんな呼び方があります。
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▼第7問 火もらい
- 電気やガスがなかった時代、炭火を絶やさないことは大切な家事の一つでした。うっかり消してしまった際は、これを使って近所から炭火をもらったそうです。手を温める器具という説もあります。
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▼第8問 香時計
- 今の時計には全く似ていません。迷路のような部分で香をたき、燃えた長さで時間を計ります。引き出しは香をしまうためでしょう。農家では粗雑な香を使い、水田の配水などの際に使ったそうです。
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▼第9問 千歯扱(せんばこ)き
- 木製の台に鉄などでできたギザギザの歯を取り付けた道具。歯の間に稲穂を挟み、しごいてもみを落とします。「カナコギ」などとも呼ぶそうです。回転式の脱穀機の普及により役目を終えました。
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▼第10問 かやぶき屋根ならす道具(雁木(がんぎ))
- 屋根にかやをふいた際、表面をならすのに使った道具です。昔は村の人が助け合って屋根をふきました。雁木にはいろんな意味があり、水田をならす道具なども指します。
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▼第11問 せんべい焼き器
- 丸い部分に材料を挟み、火であぶって焼き上げます。大きさからいって、炭酸せんべい用のものでしょうか。昔は一枚一枚手焼きしていました。今でも神戸・有馬温泉街などで見かけます。
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▼第12問 農作業用の衣服(野良着)
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- 山本秀樹館長イチオシの品。布が貴重だった時代は、破れてはつくろい、さらに布を重ねて大事に使っていました。複雑な色と表情は見ていて飽きません。まさに「用の美」ですね。
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香寺民俗資料館のご利用について
- 兵庫県姫路市香寺町中仁野336
- 入館料 - 大人400円、高校生200円、小・中学生100円
開館時間 - 10時から16時
開館日 - 土曜日・日曜日(団体は平日でも受け付けます[要予約])