- 三田市の「ゴッホの丘」と呼ばれる広野の丘に、私設美術館「うぬぼれ美術館」があるのをご存知でしょうか。荒野のゴッホと呼ばれた洋画家・大石輝一画伯が半世紀以上も前に芸術を愛する若者が集う理想郷として建設した「アートガーデン」に程近い田園地帯に建つアトリエ兼住居です。その美術館のご主人が、孤高の洋画家・佐﨑紘一さんです。
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- 「アートシティさんだ研究会」は、2022年秋に大石輝一画伯の没後50年展を開催しました。その企画第2弾として、地元ゆかりの画家の一人、佐﨑さんを取り上げ、2023年秋に展覧会を主催します。これまで地元では、あまり知られていなかった孤高の画家です。82歳の画伯は中国で終戦を迎え、半世紀前に華やいだ前衛美術グループ「鉄鶏会」で活躍しました。画業66年、美術団体に属さず孤高を貫き、ひたすらにキャンバスに絵筆を下してきました。その作風は、混沌の世にあって、もがき苦しみながらも、あくまで真実を求める物理学者の姿を見るようであるといいます。
孤高の画伯の歩みを、そして多くの示唆に富んだ作品を、一緒に見つめ直してみませんか。 -
佐﨑紘一さん その略歴
- 佐﨑さんは1941(昭和16)年、中国ハルピンの生まれ。6歳までの幼少期を父親が縫製工場を営んでいたハルピンで過しました。太平洋戦争時は空襲警報が鳴りやまぬ暮らしをし、引き揚げ時にはソ連兵に土足で自宅に入り込まれた戦争経験を持ちます。
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- 中学校から絵の勉強を始め、高校2年生の時には将来絵描きになると決心しました。しかし父親に美術学校への進学を認めてもらえませんでした。21歳の時に前衛美術グループ「鉄鶏会」に招待されて出品、それを機にプロとして世に出ることになります。以降は同会に所属し、展覧会に出品を続け、同人の秦森康屯、吉岡一らとグループ展を開き、アート活動を60年以上続けてきました。
鉄鶏会以降は、同人の多くが海外に出たように、佐﨑さんもアメリカ、中国を含む海外12カ国を巡り、無所属で活動を続け、東京や大阪のギャラリーで個展を35回重ねました。
また1982(昭和57)年から大阪の朝日カルチャーセンターで講師をし、これまで教えた生徒は少なくとも1800人は超えているとも言われています。 -
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「うぬぼれ美術館」
- 佐﨑さんのアトリエ兼住居の「うぬぼれ美術館」は田園地帯に建っています。
重厚な木のドアを開けると、玄関でも多くのミクストメディアの絵画や手作りのアート作品が出迎えてくれ、佐﨑ワールドに一気に惹き込まれます。暖炉のある洒落たリビングには、佐﨑さんの描いた絵が、壁に飾られているものもあれば、無造作に床に置かれているものもあります。抑えた色調に彩られた絵画は、佐﨑さんご本人同様、静かにではありますが、重く私たちに語り掛けてきます。その作風は、混沌の世にあって、あくまで真実を求める物理学者の姿を見るようであります。「残心」「自惚」「贖罪の時間」「走馬灯」など、タイトルにも哲学的なものを感じます。 -
- リビングの奥の扉の向こうが、佐﨑さんのアトリエです。55平方メートルほどの部屋には描かれた絵が並び、描きかけの絵がイーゼルに置かれ、無数の筆とナイフに、絵の具があちこちに散らばっています。ここで、佐﨑さんの作品が生み出されてきました。
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- 美術館には、このほか陶芸家の奥様・裕子さんの工房もあります。窯が並び、陶芸作品もアトリエのあちこちに並んでいます。
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佐﨑さんの絵の源泉は「鉄鶏会」
- 「鉄鶏会」は1958(昭和33)年、関西独立の若手作家が集まり、結成された前衛美術グループです。親睦が目的であるべき団体が、一部会員の権威主義で運営されていることに反発した作家が立ち上がったといいます。初期のメンバーは、独立の作家で中華料理チェーン眠眠オーナーの古田安を中心に、秦森康屯、岸正豊、中井克己、吉岡一、和気史郎、大久保三一の7人でした。会の名前は、「冬はてっちり、夏は鶏を一匹つぶして食べよう」と言って名付けられたのだそうです。展覧会は、一人が20点近く大作を展示する豪快さがあり、当時の抽象表現を牽引する存在として注目を集めました。
1965(昭和40)年ごろから、海外での発表が増え、メンバーの多くが海外に活動の場を移し、1968(昭和43)年に散会することになります。 -
- 佐﨑紘一さんは、1962(昭和37)年、京都市美術館で開催された第5回鉄鶏会展に出品したのを皮切りに、第9回展にもメンバーに名を連ねました。和気史郎、秦森康屯との親交も深く、輝きを増した佐﨑さんの青春だったと言っていいでしょう。
時を同じくして、関西には、吉原治良を中心に「具体美術協会」が一世を風靡していました。前衛美術グループが、芦屋や京都を中心に耳目を集めた時代でした。 -
- 同人秦森康屯の生誕100年を記念する展覧会が、4月1日から西宮市大谷記念美術館で開催されています。秋にも広島・三原市で開催予定だそうです。また和気史郎の美術館が、画伯の生まれ故郷・宇都宮市にオープンしています。
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原点に戦争・敗戦体験
- 佐﨑さんを語るうえで忘れてはならないのが、戦争・引き揚げ体験です。1941(昭和16)年中国・ハルピン生まれで、物心ついた頃には太平洋戦争が激しさを増していました。空襲警報が鳴れば、家族と一緒に防空壕に潜り込みます。防寒服を着込み、靴を履いたまま玄関先で寝た極寒の夜が続いたこともあるといいます。敗戦直後はソ連兵が攻めてきて、家の中まで土足で入り込み、軽機関銃を乱射しながら脅してきた時の恐怖は、穏やかな暮らしを送る今でも、忘れられないといいます。
1946(昭和21)年の引き揚げの際には、一緒にいた若い女性が、幼い乳飲み子を移動途中に亡くし、その時の呻く声が75年を経た今でも耳に残っていると思い出を語っています。
佐﨑さんは還暦を過ぎて、当時を懐かしく思い、描いた作品が何点かあります、日本に引き揚げた後、太陽の小ささに驚き、中国の巨大な太陽を思い出し描いた「夕陽」や引き揚げ初日の野営の時に見た月を描いた「冴月」などが代表作の一枚となっています。 -
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還暦を機にたどり着いた境地
- 佐﨑さんは還暦を過ぎて、画風が変わりました。それまでは感動した風景、人物に限って描いてきましたが、60歳を境に、心の中の問題や感じたことを絵にするようになります。生きて感じることを絵にするのが、佐﨑さんの生き方となったのです。望郷、平和、贖罪など高い精神性を感じるテーマを、20年以上にわたって他に類を見ない独自の画風で描いてきました。原発をはじめとする社会性のテーマから逃げなくなったばかりでなく、むしろ積極的にテーマとして挑みました。傘寿を過ぎた今も生きて、思ったこと、感じたことをストレートに絵にする日々を送っています。前回個展を開いたのは2013年で、およそ10年ぶりの作品披露となります。
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佐﨑紘一展
- ◇期 間 2023年10月12日(木)~17日(火)
◇会 場 三田市総合文化センター郷の音ホール展示室
◇入場料 前売り450円、当日500円
◇展示内容(予定) 油絵60点、ガラス絵15点、オブジェ15点、素描10点程度。
◇基本コンセプト
❶これまで三田ではあまり知られていなかったゆかりの洋画家佐﨑紘一さんの作品、人物像を知っていただく展示内容とします。還暦を過ぎて、心の中の問題や感じたことを絵にすることが多くなり、その高い精神性から、その作風は真実を追究する物理学者の姿を見るようであると言います。展覧会では、タイトルにも掲げた物理学的な絵画・佐﨑ワールドを展開します。
❷佐﨑さんは終戦をハルピンで迎え、壮絶な体験をしました。また、半世紀も前に関西で盛り上がった前衛美術の流れにも乗り、多くの作品を生み出してきました。展覧会では、その事実を佐﨑さんの口で語ってもらうギャラリートークも企画、その歴史に光を当てます。
❸将来の「さんだデジタルミュージアム」への一歩として、実際の展覧会と並行して、インターネット上でも佐﨑ワールドを楽しめるような工夫を試みたいと思います。 -
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- ◇主 催 アートシティさんだ研究会
◇後援(予定) 三田市、三田市教育委員会、三田市観光協会、三田市文化協会、三田市美術協会、神戸新聞社などに後援申請します。 -